三重県は何地方?

三重県は近畿地方?中部地方?東海地方?

 

〇 法令面では、近畿圏整備法(昭和38年)における「近畿圏」、中部圏整備法(昭和41年)における「中部圏」の両方に指定されている。

 

〇 国土形成計画法では、「中部圏」に指定されている。

 

〇 県行政上は、「中部圏知事会」「近畿ブロック知事会」の両方に参画している。

 

〇 国の省庁の三重県の所管区分の例:中部管区警察局、東海農政局、近畿中国森林管理局・・など

 

〇 7地方区分(北海道・東北・関東・中部・近畿・中四国・九州沖縄)の場合は、近畿地方。9地方区分(北海道・東北・関東甲信越・北陸・東海・近畿・中国・四国・九州沖縄)の場合は東海地方として分類されている。

 

〇 国定教科書「小學地理」(明治36年10月発行 文部省著作)の「小學地理 二」第五 近畿地方によると、近畿地方は、本州中部の西南に連り、中に、山城、大和、河内、和泉、攝津、伊賀伊勢志摩、近江、丹波、丹後、但馬、紀伊、淡路、播磨の十五國あり。これを、行政上、京都、大坂の二府と滋賀、奈良、三重、和歌山、兵庫の五縣とに分つ。」 (日本教科書体系 近代編/講談社発行)となっている。

 

〇 伊賀地方では、「関西版」と「中部版」の2種類のテレビガイドが販売されている。

 

〇 近畿日本鉄道は、大阪、奈良県、京都県、三重県にまたがる営業路線網を持つ。

 

〇 甲子園は東海地区として区分されている。

 

【結論と解説】

三重県は、近畿地方でもあり、中部地方でもあり、東海地方でもあるというのが結論。

 

三重県は県域によって経済圏や文化圏が大きく異なり、大部分は名古屋を中心とするとする中部圏とつながりが強く、伊賀地域は大阪を中心とする近畿圏とのつながりが強いです。その為、伊賀地域とそれ以外では同じ三重県でも文化が大きく異なります。

 

近畿地方という呼称が使用されたのは、明治時代以降で、古代律令時代の広域行政区画「畿内」に由来します。明治時代に地理の教科書に採用されてから広まりました。

 

関西に近い伊賀地域では、テレビ放送開始当初より、生駒山から発信される電波で近畿圏のテレビ番組を視聴してきました。しかし、郵政省(現総務省)により「中京広域放送圏」として指定され、1965年(昭和40年)に奈良県と三重県名張市との県境にテレビの中継塔が建設されてからは、中部圏のテレビ番組が視聴できるようになり、2つの広域放送圏が重なる地域となりました。しかし、2011年(平成23年)に地上デジタル放送に完全移行してからは、近畿圏のテレビを視聴できる地域が縮小しました。[地上デジタル電波はアナログ波のように広域に届かない為]。