「弘前城」とは?

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「弘前城(ひろさきじょう)」は、青森県弘前市下白銀町にある城で、別名「鷹岡城」「高岡城」と呼ばれていて、江戸時代には津軽氏の居城として、弘前藩の藩庁が置かれ、津軽地方の政治経済の中心地となっていました。

なぜ、弘前城が、別名「鷹岡城」や「高岡城」呼ばれているかといえば、弘前は元々、鷹岡や高岡などと呼ばれていた時期がありました。現在の弘前城の場所には高台にあり、鷹が生息するような森が広がっていて鷹狩が行われていたことに由来しているそうです。

「鷹岡」から「弘前」に変わった理由には諸説ありますが、1628年(寛永5年)に津軽信牧が帰依していた天海大僧正が弘前と命名したという説が有力のようです。津軽為信が鷹岡に城を築く途中で亡くなり、二代目の津軽信牧が完成させた城名が鷹岡城であり、1628年(寛永5年)に地名が変更になると地名に合わせて城の名前も変更され、鷹岡城から弘前城となったと伝えられているからです。

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現在は、堀、石垣、土塁等城郭の全容がほぼ廃城時の原形をとどめ、8棟の建築と現存12天守である天守1棟が現存します。

1871年(明治4年)に廃藩置県が行われた際に、旧藩主であった、津軽家より旧領民の為にと、城内の土地を市民に開放するべく申し入れを行い、弘前城公園として、市民に開放されることになりました。現在は弘前市が所有・管理しています。園内には1903年(明治36年)以降桜の植樹が行われ、現在では2000本以上になっています。