「中尊寺」とは?

「中尊寺(ちゅうそんじ)」は、岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗東北大本山の寺院です。本尊は釈迦如来で、寺伝によると、850年(嘉祥3年)「円仁(慈覚大師)」が関山弘台寿院を開創し、859年(貞観元年)に清和天皇から「中尊寺」の額を賜ったと伝承されていますが確かな史料は残っていません。実質的には12世紀初頭、奥州藤原氏の藤原清衡が釈迦如来と多宝如来を安置する「多宝寺」を建立したのが、中尊寺の創建と見られています。

ちなみに、「円仁」は、最後の遣唐使の一員として大陸に渡り、東アジアの三大旅行記の1つ「入唐求法巡礼行記(にっとうぐほうじゅんれいこうき)」の著者として知られています。(「円仁」は、入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)と呼ばれる僧の一人)

奥州藤原氏三代ゆかりの寺として、平安時代の美術、工芸、建築の粋を集めた金色堂を始め、多くの文化財を有していて、2011年(平成23年)6月26日、「平泉 仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」の構成資産の一つとして世界遺産に登録されました。

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11世紀後半、「前九年・後三年の合戦」を経て、安倍氏・清原氏と受け継がれた奥六郡(岩手県中南部)を藤原清衡公が伝領し奥州藤原氏が興ります。藤原清衡は江刺郡豊田館から平泉に居を移し、1105年(長治2年)に関山に中尊寺を造営しました。

しかし、1189年(文治5年)に源頼朝が、藤原氏を滅ぼした後、中尊寺をはじめとする平泉内の寺院は荒廃していくことになります。

さらに、戦国時代に入るとさらに荒廃が進み、豊臣秀吉の命令によって中尊寺の秘宝である「金銀字一切経(きんぎんじいっさいきょう)」「金字一切経(きんじいっさいきょう)」あわせて4,000巻以上が京都伏見に運び出されました。それが現在「中尊寺経」として高野山や観心寺などに所蔵されています。

江戸時代に仙台藩領となった平泉は、歴代の藩主によって、堂社を修理するなど中尊寺はあつく保護されまあす。現在参道ぞいに立ち並ぶ樹齢350年の老杉も仙台藩によって植樹されたものです。

明治時代以降も、国庫の補助による数度の修理がおこなわれ。「金色堂」は国宝建造物第一号に指定され、その他3,000点以上の宝物が国宝・重要文化財の指定を受けることになりました。

1958年(昭和33年)には比叡山延暦寺より不滅の法灯を分灯し、「天台宗東北大本山」の称号が認められることになりました。