「木村安兵衛」とは?

「木村安兵衛(1817-1889)」は、明治時代の実業家で、株式会社木村屋總本店の創業者です。次男の木村英三郎とともにあんぱん」の考案者とされています。

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常陸国河内郡田宮(たくう)村(現在の茨城県牛久市田宮町)に生まれました。

新政府の東京府職業授産所(職業訓練所)の事務職として働いていた時に、長崎でオランダ人宅のコックを務めた梅吉と出会い安兵衛はパンというものを知り、つくることになりました。

1869年(明治2年)、妻のわずかな蓄えを元手に東京の芝区日陰(現在の港区新橋駅付近)に、木村屋の前身となる「文英堂」を創業しました。(店の名前は妻の名前である「ぶん」とと息子英三郎の「英」の字からとったもので、その後、店名は「木村屋」と改められました。)

ただし、実際にパン屋としての仕事をしたのは、当時18歳の次男英三郎でした。

店を開いてから、数ヶ月後に起こった火事によって店を焼失してしまいます。焼き残ったのは石で出来た石釜でしたが、これを転機に、一家は再起を図るため銀座尾張町に進出します。

饅頭にあんが入っていたことからヒントを経て、あんと入れるパンを作る事になりました。小豆餡をパン生地でくるみ、発酵に酒種酵母を使用した「あんパン(酒種あんぱん)」を開発しました。 (欧米でパン生地づくりに酵母として使うイースト菌が当時の日本で希少だったこともあり、木村屋では酒饅頭の製法に倣い日本酒酵母を含む酒種(酒母、麹に酵母を繁殖させたもの)を使用していました。)

1874年(明治7年)に販売を開始すると反響を呼び、縁のあった旧幕臣で侍従を務めていた山岡鉄舟の仲介で、1875年(明治8年)4月4日の隅田川花見で明治天皇が向島の旧水戸藩下屋敷訪問の際に、木村屋のあんパンが茶菓子として献上されました。このあんパンは中央に桜の花びらの塩漬けをあしらったもので、天皇陛下夫妻、特に皇后陛下(照憲皇太后)から気に入られ、「引き続き納めるように」という両陛下のお言葉があり、宮中御用達となりました。それ以降、4月4日は「あんぱんの日」となっています。