「岸本辰雄」とは?

「岸本辰雄」(1851-1912)は、因幡国南本寺町(現在の鳥取県鳥取市)に生まれの明治時代の法学者で、明治大学の前身である「明治法律学校」の創設者のひとりです。

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当初鳥取藩の藩校「尚徳館」で学び、戊辰戦争に従軍後、1869年、箕作麟祥の共学塾に入門し、翌1870年、貢進生として鳥取藩の推薦を受け大学南校(後の東京大学)に入学しました。1876年には、司法省初の留学生としてフランスに留学しました。

1872年に司法省が新設した司法省明法寮(後の司法省法学校)に第一期生として入学しました。1876年には、司法省初の留学生としてフランスに留学しました。

この時の一期生である「宮城浩蔵」「矢代操」らとともに明治大学の前身である「明治法律学校」を創設し、1888年(明治21年)に初代校長に就任しました。

この間にも法制局判事、法制局参事官、司法省参事官、大審院判事等を歴任しました。

明治大学駿河台キャンパスのリバティタワー23階には、「岸本辰雄記念ホール」があり、出身地鳥取の藩校「尚徳館」跡地には、2006年に胸像が建立されました。