「田中久重」とは?

「田中 久重(たなか ひさしげ)」(1799-1881年)は、江戸時代後期から明治にかけての発明家で、㈱芝浦製作所(後の東芝㈱)の創業者で、「東洋のエジソン」「からくり儀右衛門」と呼ばれました。

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1799年(寛政11年)、筑後国久留米(現・福岡県久留米市)にべっ甲細工職人の長男として生まれました。幼い頃から才能を発揮し、五穀神社(久留米市通外町)の祭礼では当時流行していたからくり人形の新しい仕掛けを次々と考案して大評判となり、「からくり儀右衛門」と呼ばれるようになりました。

20代に入ると九州各地や大阪・京都・江戸でも興行を行い、各地にその名を知られるようになります。彼の作で現存するからくり人形として有名なものに「弓曳童子」と「文字書き人形」などがあり、からくり人形の最高傑作といわれています。(1990年代に発見された2体の「弓曳童子」は修復・復元された後、現在は、トヨタ産業技術記念館と久留米市教育委員会が一体ずつ所蔵しています。「寿」「松」「竹」「梅」の4文字が書ける「文字書き人形」は、1991年(平成3年)にアメリカにあることがわかり、2004年(平成16年)に日本に持ち帰られ修復され、翌年の「愛・地球博」で展示されました。現在は久留米市教育委員会が所蔵しています。)

その後、大阪や京都、佐賀などを転居しながら、様々な発明を行い、技術者として藩の殖産興業等などに貢献しました。

1873年(明治6年)に、新政府の首都となった東京に移り、75歳となった1875年(明治8年)に東京・京橋区南金六町9番地(現在の銀座8丁目9番15号)に電信機関係の製作所「田中製造所」(後に「㈱芝浦製作所」となり、さらに「東京電気㈱」と合併して「㈱東芝」の前進である「東京芝浦電気㈱」となる)を設立しました。

 

1834年(天保5年):「折りたたみ式懐中燭台

1837年(天保8年):「無尽灯」圧縮空気により灯油を補給する灯明

1851年(嘉永4年):「万年自鳴鐘」季節によって昼夜の時刻の長さの違う不定時法に対応して文字盤の間隔が全自動で動くしかけ