【都道府県クイズ】第317回(問題&解説)2020年4月11日

 


解説


 「青森県」に関する問題です。

「日本中央の碑」は、1949年(昭和24年)に、青森県東北町坪渡で発見された高さ1.5m、幅70cmの大石で、石の真ん中に「日本中央」と刻まれています。

12世紀末に編纂された藤原顕昭作の『袖中抄』19巻に<陸奥には“つぼのいしぶみ”という石碑があり、蝦夷征討の際に田村将軍(坂上田村麻呂)が矢筈を使って“日本中央”という文字を刻んだものである>という一説があることから、坂上田村麻呂が石の表面に、矢の矢尻で文字を書いたとされる石碑とされ、それ以降、東北の歌枕として和歌の中に使われています。

1876年(明治9年)の明治天皇の東北行幸に際して、宮内省から青森県に“つぼのいしぶみ”発見の要請がありました。そこで田村麻呂が石を埋めたという伝承の残る千曳神社で大掛かりな発掘作業が行われたましたが、結局発見には至りませんでした。しかし、1949年(昭和24年)6月に、千曳神社近くの青森県東北町石文(いしぶみ)という所から「日本中央」と刻まれた石碑が出土しました。発見された場所が“石文”であり、またそのすぐそばには“都母(つぼ)”と呼ばれる地域があることが“つぼのいしぶみ”という別名と一致するなどの根拠もあり、伝承の「つぼのいしぶみ」の最有力候補という位置付けをされています。

刻まれた文字「日本中央」の「日本」という文字は「ひのもと」と読み、平安初期の文献によると「東北地方」一帯を指す言葉として使われていたらしいとのこと。(このころ「日本」という国号は使われておらず、蝦夷征討の際に刻まれたという逸話からも推察される。ただし、この碑を刻んだとされる坂上田村麻呂はこの地まで遠征しておらず、後任の征夷大将軍・文屋綿麻呂がはじめてこの地域一帯まで足を運んだのが史実で)