「大谷焼」とは?

「大谷焼」は、主に徳島県鳴門市で生産される伝統的工芸品です。

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1780年(安永9年)に、四国八十八ヵ所霊場に来た豊後の国の焼き物細工師「納田文右衛門」が親子5人連れで大谷村山田の里(現在の大麻町大谷)に来て、はじめて轆轤細工を披露し、時の庄屋・森是助が素焼窯を築いて蟹ヶ谷の赤土で作った火消壷等の雑器類を焼いたことが始まりといわれています。
その後は藩主の蜂須賀治昭公が九州の職人を呼び寄せ、別で窯を開き、磁器も生産されるようになりましたが、原材料の取り寄せに費用がかかり3年ほどで廃窯してしまいます。
その後、藩の藍商人が自分の弟に信楽焼の技術を学ばせ、登り窯を築きます。こうして水かめや藍染に用いるかめの生産を開始し、現在の大谷焼の起源となったそうです。
大谷焼は、巨大な水かめなどを作る際、寝ろくろという独自の技法を用いられていて、一人が地面に寝ながら足でろくろを回し、もう一人が上で形を作っています。原料の陶土には鉄分が多く含まれ、独特の光沢を持ちます。