「杉原千畝」とは?

「杉原千畝(すぎはらちうね」(1900 - 1986年)は、日本の外交官です。第二次世界大戦中に、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原は、ドイツの迫害により欧州各地から逃れてきた難民たちに、外務省からの訓令に反してビザを発給し、避難民(多くがユダヤ系)約6000人を救ったことで知られていて「東洋のシンドラー」とも称されています。

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岐阜県武儀郡上有知町(現・岐阜県美濃市)に生まれ、英語教師となる夢を目指し勉学に励みますが生活が苦しくなり、公費で勉強ができる外交官留学生試験に、猛勉強の末合格し、外交官としての道を進むことになりました。

杉原がリトアニアの在カウナス日本領事館領事代理に任命されたのは、1939年(昭和14年)でした。この時代、ユダヤ人に対するナチス・ドイツの迫害が激しくなっていました。

ドイツ占領下のポーランドをはじめ、ナチス・ドイツの影響の強い地域から逃れてきたユダヤ人にどのように対処するか、ということが国際的な問題となっていました。日本においても、ユダヤ人に限らず、すべての外国人について、避難先の国の入国許可を得ていない者には通過ビザを発給しない、という方針を決めていました。

そんな中、外務省訓令に違反して、ユダヤ人難民にビザを発給し続けました。

戦後の1947年、帰国した杉原は、独断でビザを発行したことの責任により外務省からの解職を言い渡されました。

1985年1月、イスラエル政府から「諸国民の中の正義の人」(第二次世界大戦中にナチス・ドイツによる虐殺からユダヤ人を救出した人物に贈られる称号)の称号が授与されました。