「現存天守(げんそんてんしゅ)」とは、日本の城の天守のうち、江戸時代またはそれ以前に建設され、現代まで保存されている天守のことで、現存する12の天守を「現存12天守」と呼んでいます。
しかし、現存天守は必ずしも創建当時の建物をそのまま保存されているものということではありません。現存12天守を分類してみると、
①修復を繰り返しつつ、ほぼ創建当時の天守を維持してきたもの
「彦根城(滋賀県)」「姫路城(兵庫県)」
②城が存城であった当時に再建、改築した天守がほぼそのまま残っているもの
「犬山城(愛知県)」「松山城(長野県)」「松江城(島根県)」「高知城(高知県)」
③付随する一部の建物が焼失し改築されたもの
「宇和島城(愛媛県)」
④明治維新以降に付随する建物を撤去、または損失し、天守のみが残っているもの
「弘前城(青森県)」「備中松山城(岡山県)」「松山城(愛媛県)」「丸亀城(香川県)」
⑤損失したが遺材を組み直して再建されたもの
「丸岡城(福井県)」
天守の数の推移
関ヶ原の戦い前後に城の数は最盛期を迎えましたが、江戸幕府の「一国一城令」で城が取り壊され、「武家諸法度」により新たな築城や増改築が禁止されたことにより減少の一途を辿りました。
また、幕末における戦乱や明治政府の「廃城令」に伴う撤去、天災などにより更に数を減らし、 1940年代までには、20にまで減少しました。
さらに、第二次世界大戦時の1945年(昭和20年)に、アメリカ軍の爆撃によって「水戸城(茨城県)」「大垣城(岐阜県)」「名古屋城(愛知県」「和歌山城(和歌山県)」「岡山城(岡山県)」「福山城(広島県)」「広島城(広島県)」の7城の天守が焼失し、1949年(昭和24年)の失火によって「松前城(福島県)」の天守が焼失したことにより現在の「12」という数になりました。
「現存12天守」は、一般的に近現代に再建された天守と比較して「本物の城(天守)」と言われることがあります。それは、天守の維持・保存に、文化庁の指導のもと、釘一本に至るまで伝統的な城郭建築の技法を求められる為だからだそうです。(つまり費用も多額になります。)
12の天守のうち、「犬山城(愛知県)」「松山城(長野県)」「彦根城(滋賀県)」「姫路城(兵庫県)」「松江城(島根県)」は、国宝にしていされています。