「日蓮」とは?

「日蓮(にちれん)」は、1222年(貞応元年)に安房国長狭(ナガサ)郡東条郷片海(現・千葉県鴨川市小湊)で生まれたと伝えられています。

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日蓮は、鎌倉時代の仏教の僧で、日蓮宗の開祖です。12歳の時に、安房国の天台宗寺院である清澄寺で修行し、その後に比叡山延暦寺・園城寺・高野山などに遊学しました。再び清澄寺に戻った1253年(建長5年)に「日蓮宗」の立教を宣言しました。その後、鎌倉に移り名越の松葉ヶ谷に草庵を構えて弘教活動を開始しました。

1257年(正嘉元年)、鎌倉で大地震があり、ほとんどの民家が倒壊するなどの大きな被害が出ました。それ以来、地震・暴風雨・飢饉・疫病などの災害が相次いだのがきっかけで、日蓮は、「立正安国論」を執筆し、当時の鎌倉幕府において事実上の最高権力者である北条時頼に提出しました。

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「立正安国論」では、、相次ぐ災害の原因は人々が正法である妙法蓮華経(法華経)を信じずに浄土宗などの邪法を信じていることにあるとして諸宗を非難し、このまま浄土宗などを放置すれば国内では内乱が起こり(自界叛逆難)、外国からは侵略を受けて滅びる(他国侵逼難)と唱え、邪宗への布施を止め、正法である法華経を中心「立正」とすれば国家も国民も安泰となる「安国」と説いています。

その内容に激怒した浄土宗の宗徒による「日蓮襲撃事件(松葉ケ谷の法難)」を招いた上に(日蓮は襲撃を免れています)、禅宗を信じていた北条時頼からも政治批判と見なされて、1261年(弘長元年)日蓮は伊豆国に流罪(伊豆流罪)となりましたが、 1263年(弘長3年)、日蓮は伊豆流罪を赦免されています。