「江戸川乱歩」とは?

「江戸川乱歩(えどがわ らんぽ)」(1894 - 1965年)は、大正から昭和期にかけての小説家・推理作家です。戦後は推理小説専門の評論家としても活躍し、日本推理作家協会初代理事長になっています。

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三重県名賀郡名張町(現・名張市)生まれ(本籍地は津市)で、本名は、「平井太郎」。ペンネームの「江戸川乱歩」は、乱歩が青年時代に愛読したアメリカの小説家「エドガー・アラン・ポー」に由来しています。

2歳の頃に父親の転勤に伴い鈴鹿郡亀山町(現・亀山市)に引っ越したのを皮切りに、点々と引越しを繰り返し、生涯引っ越した数は大人になってからもあわせて46回にも及ぶそうです。

早稲田大学政治経済学科を卒業後は、貿易会社など古本屋など十数種の職を経て、「新青年」に掲載された「二銭銅貨」でデビューし近代的な推理小説の作家として注目されました。その後も「心理試験」「屋根裏の散歩者」等を発表し、推理小説という新しい分野を確立しました。

また、少年向けとして、明智小五郎と小林少年や少年探偵団が活躍する「怪人二十面相」を月刊娯楽雑誌「少年倶楽部」で連載しました。

晩年の乱歩は多くの病をを患っていましたが、それでも家族に口述筆記させて評論・著作を行いました。

現在でも江戸川乱歩賞は、新人推理作家の登竜門となっています。