「川本幸民」とは?

「川本幸民」(1810-1871)は、幕末~明治初期の蘭学者です。特に物理・化学に関する研究や西洋の書物の翻訳で優れた業績を残し、「初めて日本でビールを醸造した日本人」といわれています。

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1810年に、摂津国有馬郡三田(現在の兵庫県三田市)で三田藩の藩医であった川本周安の三男として生まれました。彼は、早くから学問において抜きん出た才能をあらわし、参勤交代に伴って江戸に入府しました。江戸では蘭学者・坪井信道の塾に入門し、緒方洪庵らとともに蘭学を学んでいましたが、1836年(天保7年)に刃傷事件を起こしてしまい、数年間の謹慎蟄居を余儀なくされました。

1848年に白リンマッチを試作し、1851年には「気海観瀾広義」を皮切りに多くの翻訳を含めた著作を出版しました。その才能を薩摩藩主・島津斉彬に見いだされ、1853年(嘉永6年)に薩摩藩に転籍し、薩摩藩校学頭も務め、造船所建造の技術指導のため実際に薩摩に赴いたとも伝えられています。1859年には、東京大学の前身である「蕃書調所」の教授となり、1861年には著作「化学新書」を出版しました。

「化学新書」は、ドイツの農芸化学書「化学の学校」を、オランダ語から重訳したものです。このとき化学」という言葉が日本で初めて使われたといわれています。この「化学新書」には、ビールの醸造方法が述べられていて、ビールについても実験を行った詳細な説明がされています。

例えば「上泡醸法」と「下泡醸法」では、発酵温度や仕込時間、貯蔵期間などが異なることなどが具体的に述べられています。

「上泡醸法」はイギリスのエールなどの醸造に用いられる「上面発酵法」のことで、「下泡醸法」は当時まだ確立したばかりのドイツ風ビールの醸造に用いられる「下面発酵法」のことです。