「兼六園」とは?

兼六園(けんろくえん)」は、石川県金沢市に位置する日本庭園で、約11.7ヘクタールの広さを誇り、 「後楽園(岡山県岡山市)」と「偕楽園(茨城県水戸市)」と並んで日本三名園の1つに数えられています。

17世紀中期、歴代の加賀藩主によって長い年月をかけて形作られた、金沢城の外郭に造営された藩庭を起源とする池泉回遊式庭園(園内を回遊して鑑賞する庭園)です。

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1676年(延宝4年)、加賀藩4代藩主の前田綱紀が、金沢城に面する傾斜地にあった藩の御作事所を城内に移し、その跡地に自らの別荘である「蓮池御殿(れんちごてん)」を建ててその周りを庭園化したのが兼六園の始まりといわれています。

1759年(宝暦9年)に発生した宝暦の大火で焼失しましたが、それから15年後の1774年(安永3年)、10代藩主前田治脩によって蓮池庭が再興され、同年に翠滝と夕顔亭、1776年(安永5年)には内橋亭を造り、庭園が整備されました。

1872年(明治5年)には異人館は「成巽閣」とともに国内初の博物館である金沢勧業博物館となりました。同館は1909年(明治42年)に廃止されますが、その間1879年(明治12年)に図書館、1887年(明治20年)に金沢工業学校(後の石川県立工業高等学校)が附属されるなど、大規模なものに拡張されました。

近年では、1989年(平成元年)に兼六園広坂休憩館が開館し、2000年(平成12年)に「時雨亭」が復元完成しました。