「三輪そうめん」とは?

「三輪素麺(みわそうめん)」は、奈良県桜井市を中心とした三輪地方で生産されている素麺(そうめん)で、三輪地方はそうめん発祥の地とも言われています。

三輪素麺はお伊勢参りの途中で訪れた人々を魅了し、手延べの製法も播州(兵庫県)、小豆島、島原へと伝わり、全国に素麺が広がっていきました。 

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素麺のルールとしては、奈良時代の、遣唐使により小麦栽培・製粉技術が伝えられたとされていて、唐から伝来した唐菓子の一つの、「索餅(さくべえ)」が原型で素麺やうどんなどに派生変化したとの説があります。

索餅は、小麦粉と米粉に塩を加えて縄状にした乾麵です。奈良時代においては米の端境期を乗り越える夏の保存食であったことが、長屋王邸宅跡(奈良市)から出土した木簡の記載が、「正倉院文書」では平城京での索餅の取引きの記録が残ったりしています。 

また、伝承では、日本最古の神社である三輪山の「大神神社」で、ご神孫・大田田根子の子孫で827年に三輪族の氏上にも任ぜられた狭井久佐の次男「穀主朝臣」が飢饉と疫病に苦しむ民の救済を祈願し神の啓示を賜りました。神の啓示のままに肥沃な三輪の里に小麦を撒き、その実りを水車お石臼で粉に挽き、癒しの湧き水でこね延ばして糸状にしたものが、そうめんの起源とされています。

そういった経緯もあり、大神神社では現在でも毎年2月5日にはその年の素麺相場をご神前で占う神事「卜定祭(ぼくじょうさい)」が執り行われ、その結果は今でも三輪素麺の初取引の参考にされていすそうです。
また、夏の終わりには、年中行事を締めくくる感謝祭も境内で行われ、一年の営みを無事に過ごすことができた喜びを「そうめん踊り」に表わし、ご神前へ奉納されます。

現在三輪そうめんは、細さによってランクが分けられていて、

神杉(かみすぎ)・・600~650本 (1束/50gあたり)

緒環(おだまき)・・475~525本 (1束/50gあたり) 

瑞垣(みずがき)・・400~475本 (1束/50gあたり)

誉(ほまれ)・・350~400本 (1束/50gあたり) 

細いほど高級品である。三輪そうめんの全生産量の約90%は、④の誉(ほまれ)である。

また、奈良県桜井市では三輪素麺の普及や食べる習慣を広め、伝統文化への理解の促進を目的に、2017年に「そうめん条例」が制定されました。